こんにちは。
「あなたは流れる水のように他人に与え続けて自分の中には何も残らない、よってお金も貯まりませんが、老後は大好きな人たちに囲まれて幸せな最期を迎えます」と占い師さんに言われている私です。
これから3か月間、毎日ブログ書きます。
最期だけが幸せなんだったらそれは切ない。私は今を生きている。
昔は他人の役に立っていれば満足、そんな時期もあったけど、ふとある日気づいた。当たり前のように、他人に膨大な時間を奪われているということに。
でもやっぱり、呼吸をするように他人に与えてしまっているようだ。
私が自己犠牲的GIVERだということなのか? 底辺で終わるの? 御免蒙る。
この仕事をするようになってから、それがものづくりの面でも起きていることに気づくことが何度か。
知り合いのアイデアを拝借してアレンジしてより売れそうなものを作って売るのは、金を稼ぐという点では正しい。
— 中年セディ@財布に現金入れてない人 (@d_sardine) 2020年3月30日
もしかして、稼ぐってそういうことなの?
悲しくなるけど、自分が送り出したコンテンツはオープンソースだと思って次に行こう。
稼ぐなら気持ちよくやりたい。
先日は世に送り出した後はオープンソースだーと自分を納得させようと思いましたが、知り合いにやられたことが地味にショックがでかくてなかなか立ち直れず。
くだんの商品、妹に「こういうことがあって…」とシェアしたら「そのまんまやん!」と。だよね、そう思うよね、私もそう思った。
— 中年セディ@財布に現金入れてない人 (@d_sardine) 2020年3月30日
悔しいし悲しいけど「これのおしゃれVer作りたい」と思わせてしまった時点で負けなんだわ。
やりきれないのは、それを知り合いがやったということ…
そう考えることによって何とか気持ちを落ち着かせた。
完全新規のものなどないし、モノづくりってそんなものだ。ロケット社しかこの世にいないと思えばいい。
でもさ、腹は立つよね。
ここだけの話、「もうやめようかな」とか泣きながらパートナーに弱音吐いちゃったよ。
私は良いと思うものを作り続けるだけだ。「アイデア拝借してもっといいデザインで作りたい」なんて思わせないものを。